昭和天皇

Twitter昭和天皇の戦争責任についてどうこう書こうかと思ったが気が乗らないのでやめる。
ここに書いておく。
正直言えば、戦争責任という言葉の意味が判然としない。
開戦責任や敗戦責任や任命責任ならわかるが、戦争自体に責任を取る必要があるという言葉が不可解だ。
防衛戦争はどうなるのか。言葉遊びか。



さて、問題として昭和天皇の戦争責任が云々。
もはや、あるとしてもないとしても、国家が昭和天皇に何かしら出来ることはない。
崩御されてしまったのだから、出来ない。
それは国が自己の弁護が出来ない故人に対して、名誉を回復するなら兎も角、悪し様な評価を決定することなど人権侵害以外のなにものでもないからだ。
人権を謳う国家がすることではない。
罪なき者こそが石を投げよ。閑話。


戦争直後、昭和天皇が罪に問われるか否かが決定できる時だった。
そして、それをして良いのは、戦勝国か国民だけだ。
戦勝国は勝ったのだから、どのようにしても良かった。
それが勝つと言うことなのだから。
敗者が勝者に善意など期待すればただの愚鈍だ。
しかし、戦勝国は結果として昭和天皇に罪があるとはしなかった。
それならばそれでおわりだ。
疑わしきは罰せずと言う言葉がある、裁かれないのならば罪はない。


ならば国民が昭和天皇をどうするのか。
何があろうが無かろうが、何も出来なようがない、戦勝国が望まないのだからだ。
日本という国は、それが出来ないほどに負けて、それが出来ないような条件を呑んだのだ。
それはいつの講和条件を呑んでもそうだ。
もし昭和天皇に責任を負わせたかったなら、戦争に勝たなければならなかっただろう。


何をどうやっても昭和天皇に責任など負わせられなかったし、今も追わせることなどできない。
有るのか無いのか議論題材としては面白いかも知れないが、実際として日本人が何をどうしようが何もどうしようもなかったし、何もどうしようもない。
歴史武将の評価を自分勝手に決めていくのと同じ話。
そしてこれで終わりの話。